2006年12月10日 | 週報 2006 2006-50
2006-50
イエスの話の適用〔13〕
ルカ福音書 18章9-14節
「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」(13節)
Ⅰ.たとえのパラドックス(逆説)。
1.善良な人が神から拒絶される。
2.悪い人が神に受け入れられる。
3.二人の人に代表される人間の自己評価と自己意識。
Ⅱ.たとえの目的。
1.自分を正しいとするのは自信であり、誤りであることを指摘するため。
2.他人を見下げることは誤りであることを指摘するため。
3.傲慢(ごうまん)、高慢そして誇りは神が憎まれるのを指摘するため(ヤコブ4:6、箴言6:15-19,15:5)。
Ⅲ.ふたりの人の共通点。
1.ふたりとも立って祈った=ユダヤ人の祈るときの正しい姿勢。
2.ふたりとも神に直接祈った=聖母マリヤではなく、エホバの神に祈るユダヤ人の祈り。
3.ふたりとも自分の祈りを神に聴いて欲しかった。
Ⅳ.ふたりの相違点。
1.パリサイ人の場合:
・「自分に祈った」「自分のことについて祈った」とギリシヤ原語で読むことが出きる。
・ 神の名を口にしたが、その神を知らなかった。
・ 自分よりも低い者、悪い者を比較の基準にした。
2.取税人の場合:
・ 自分の哀れなライフ・スタイルを悲しみ嘆いた。
・ 憐れみを神に乞うた。
Ⅴ.聖霊の神の働きが見直される必要をこのたとえから学ぶことが肝要。
1.聖霊の神の働きを抜きにしては、真の悔改めと信仰は起こり得ない。
2.サウロの回心と入信は聖霊の神の働きで起きた(使徒26:14-19)。