『ことば』を大切に。

ことばを守る者に神の愛が全うされる(Ⅰヨハネ2:5)。

わたしはまことのぶどうの木

2018年09月02日 | 週報 2018

2018-33

          ヨハネ福音書 151-11

はじめに‥‥ぶどうの木のたとえから、父なる神が農夫、イエスがぶどうの木で、私たちは枝であり、聖霊なる神が実を結ばれる、ということを学ぶ。


Ⅰ.「農夫」が植えた「ぶどうの木」により生かされる「ぶどうの枝」がみを結ぶ

  1.枝は、完全に木に依存している。

  2.木は、どんな実が結ぶのかのすべてを、枝にまかせている。

 

Ⅱ.枝が木に依存していなければ

  1.枯れて、焼かれる。

  2.死んでいるのと同じ状態になる。

 

Ⅲ.枝が木に依存していれば

  1.ぶどうの実を結ぶ。

  2.もっと多くの実を結ばせるため、刈込がなされる。

  3.接ぎ木されて、ぶどうの木と一心同体になる。

  4.枝が結んだ実は、実らせたぶどうの木を現す。

 

Ⅳ.教会がぶどうの木で、その会員は枝である

  1.バプテスマを受けて、まず教会につながらなければならないい。

  2.教会に「とどまる」ということがなされていなくては、いのちの成長はない。

  3.会員一人一人がキリストを現す実を結ぶことは神の栄光となる。

 

さいごに‥‥「父なる神」が建てられた「御子キリスト」のからだである教会は、「聖霊」の宮である。これが教会により現された三位一体の教理である。教会を中心とした信仰生活を送っていくべきである。