2013年03月24日 | 週報 2013
2013-12
マタイの福音書 27章26-31節
A.神が神である限り死ぬことはないが、人間になることにより犠牲の血を流し、死ぬことができたから
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)
1.最終的な犠牲となるため。
「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」(へブル9:22)
2.人間に要求する神の義と条件は神のみがみたすことができるから。
「神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、」(コロサイ1:19)
B.十字架の死以前には罪人を救う方法はなかったから
1.罪人には罪から救う強力な救い主が必要であり、人になった神以外にはその務めをはたせないから。
「この方以外には、だれによっても救いはありません。」(使徒4:12)。
2.殉教者の死は罪人の救いには無効である。
3.模範的人生を送った人、世界の三大聖人のひとり、最も良い教えを教えた最高の教師などは罪人の身代わりに死ねない。
C.キリストは十字架の死を避けないで、あえて選ばれた理由は?
1.父なる神の御計画を第一に願ったから。
「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」(マタイ26:39)。
2.人間的な計画、考え、方法で罪人である全人類を救うのは不可能であるから。
3.キリストがこの世に来られた目的を果たすため。
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)